祝祭的な、というと手垢にまみれていて、見たものをそう表していいのかわからないけど、とてもきれいな時間と空間を過ごして、わたしはこの経験をきっと今後の人生で頼りにし続けるのだろうと思った。
長袖に腕を通して。
秋になると、新年度にも慣れました、という感じで、随分とゆっくりすごせる。蒸し暑くなくなるからだろうか。
このブログを始めたころは、私は20代前半の若さをもって、私自身の偏りが私を生きづらくさせていたように思うけど、ここ最近は、私側の問題じゃなくて、日本がひどい場所になってきているのかなという気がしている。私自身の生きやすさで言えば、生活は苦しくないし、できることも幾分増えて、それほど人生は悪くなくなってきたのだけど。
日々の希望を、映画や文学や漫画で得ているのは前から変わらない。あとは簡単に遠出する。
緑を求めて、ではないんだけども。
最近緑ってきれいだな、とあらためて思う。木々のあるところを求めて、少し坂を上がったりすることもある。
どこの緑かなんて、わざわざ書かれないとわからないほど、特徴はないけれど(植物に詳しい人が見れば、植物のはえる地域を言い当てるのかもしれない)、この緑は隣国で撮った緑だ。市庁駅付近だったかな?
身近でも、時に耳を覆いたくなるようなヘイトや、差別が聞こえてくることがある。だとしても、私は、自分の常識を動揺させるために気軽に居場所を抜け出したいし、移動した先のごはんを食べて、人と話して、遊んでいたいな。
思いをぶつける
最後にひとに思いをぶつけたのはいつだったろう、なんて思い出さなくてもわかる。一年前だ。自分よりも年上だからといって、甘えたんだった。ぶつけたことを恥ずかしいと思うだろうと思いながら、でも伝えてみようという思いの方が勝ったんだった。あー。もうそういうことはしないだろうか。わからないな。
すごくかわいい子だったから。
実家の片づけをしていたら、このブログのタイトルにもなっている犬の写真がいくつか出てきて、本当にかわいい子だったなあと思った。もう10年くらい、亡くなってからたったんだろうかって思って数えたら、14年たっていた。またいつか犬を飼うことはあるだろうかな。わからない。
過去と現在
実家に帰ったとき、小学校のとくに仲よくはなかったけど、別のクラスの女の子が、雑貨屋さんの店員さんにいて、向こうは多分私のことを覚えていないだろうから、声はかけなかった。彼女には名札がついていたからわかった。20年以上の時が過ぎたんだな。
すごく綺麗でやせ型の子で、今思えば少し低栄養だった可能性もあるけど、小学校のときは、その容姿が羨ましいなーって思ってた気がする。今では私は私の人生をまるごと、受け入れているんだけど。