何もしない2日間

春の定番で、また不適応をこじらせていた。

なんとか解決しました。どうして私はいろんなところで、合わないんだろうなあと思う。いいところもあって、皆がこう考える、というところで、大抵そうですねと言えないところ。違うんじゃないか、といつも考えるので、全体主義にも、私はそぐわないと思う。

しかし、不便です。

気づいたら8月。

ここ最近はずっと、何かto doがあって、追われていて、その上、なにか連続して休みがあったら、どこかに行きたくなってしまうという衝動的な気持ちもあって。でも、それをなんとかおさえてーー(というかうまく都合が合わなかったのだけど)、ここ2日は、ただただじっくり休むということにした。寝て、起きて、寝て。食べて、読んで、学んで。

けっこう贅沢だったな。

静謐な信頼の関係

憂鬱でも、日々は過ぎゆき、仕事も続く。

ところで、たまに…本当にたまになんだけど、いつも一緒にいるわけでも、家族でもないのに、少しも衝動的ではない気持ちで、少しも消費するようなところがなく、「自分たちは、理解しあっているのではないか」と希望を持って、その希望が静かに人生を推し進める救いになるような関係ってあると思う。

相手と会ったことさえないこともある。

何人かの人と、こういう関係を持てたことは、私の救いであり続ける。

光を照らす作業

間違えた選択をすると、それを引きずるし、進む前から、間違えていたんじゃないかとすごく思い悩むし、だいたいどんな選択についても、結果オーライといった、結果的によかったよ、という思いなおしはできないほうだ。だから最近はすごく暗い気持ちでいたんだけども、その選択について、友達が、身をもって、光を照らして、いい部分を見せてくれたことがあって、感謝した。

ブログに移行した。

気が付いたら、はてなダイアリーの記事が更新できなくなっていて、ぼうっとしているうちに、そもそもインポート自体ももう2月でしないといけないということで、ブログに移行した。どんなふうに変わるのかよくわからない。

もうはてなには、15年くらいは、書き続けているのだ。

またよろしくお願いします。

山に登った日のこと。


年をとると思わぬことをしてみるもので、今年は、山に登りたいような気がして、山に登った。これまでも、活動的な人に誘われるような形で登ったことはあったのだけれど。
酷い台風が去って1か月もたった頃なのに、その台風の爪痕なのか、別の機会にそうなったのかわからないけれど、根こそぎ、木が倒れていたりした。山に慣れていないのに、ちょっとハードだったかな。
緑の中にいるのは私にとって、救いのようなもので、ここでなら、私は私らしくいられる、誰にも遠慮せずに、のびのびと、という気がする。
とても運動音痴なので、次々、抜かされるんだけどね。でも楽しかったな。また登りたい。

集中できない

若い頃よりは、集中できるようになったんだろうかと思う。昔は、会議なんかで人が話しているときも、本当に何を話しているのかまったくわからなかった。今は発言することができる程度に、少しわかる。今でも、四方八方から言葉が聞こえてくるようなところでは、全然わからないから、あらかじめ情報を遮断するようなところはある。聴覚情報だけが弱いわけじゃなくて、読んでも、頭に入らないことが多かった。
もっと集中できる人生だったらよかったのかなと思うけど、それでも、まあ、がんばったほうだよ。