Nameless, or you have your name

知り合いが実名を書いてブログをやっているのを見た。院生だから名前をむしろ売りたいのかも。しれっと明かしている人を見ると、あれ、名前って実は別に隠すものでもないのかなあ。。という気になる。会社勤めをしている人などで、その企業のホームページで名前、大学名、等をプロフィールで明かしている人もけっこういるが(採用のページとか、商品のアピールなどで。まあ会社の方針なんだろう、でもできれば遠慮したい)、大丈夫かなあと勝手に心配してみたりするけど、でもきっと杞憂なんだろう。友人で、メールの最後に名前・会社名・卒業大学名・専攻・住所までを署名としてつけている子もいる。(この場合、既に知り合いである人に送っているわけだから状況は少し違うのだが。)私にも一応名前はあるが、一回名前がなんにもない存在になってみたいかも。それで他の記号的名前の情報も一切渡さず、私も一切渡されない、とか。「西瓜糖の日々」の主人公は名前を持たない。そのことがなんだって言われるとよくわからないんだけど。
で、関連するような関連しないような話なんだけども、ハチミツとクローバー 4 (クイーンズコミックス)で、真山君が自分を好きだけれどもその気持ちにこたえることはできなくて、でも大切な山田さんの恋愛相手はどんな人がいいのか、という話になったときに

(真山)「真面目で包容力があって安定した収入があって見た目は多少アレでも絶対に浮気とかはしなくて山田を一生大事にしてくれてぜったいに泣かすよーな事のない……」(先生)「お前は年頃の娘を持ったおかんか?しかもなんだよその条件。そんな上辺だけのデータで人のしあわせが保証できるとでも!?」(真)「ううう」(先)「お前はアホか!?」

というやりとりがあった。真山の提示した条件は一見上辺だけのデータとか記号とかではなく、なんなら「そうそう、これが本当の愛情だよねえ」と言ってもいいくらい分別のある条件なんだけど、それを上辺のデータと言い切っている。私も花本先生の意見プラス「収入なんて生活できてあとはもう健康であればいいじゃない」とか言ってしまいそうなんだけど。世間で上辺のデータというと、家柄(あるいは名前?)・収入・仕事・見た目・学歴などなどがくるのだけど、思想・哲学・方向性・愛情の持ち方・態度・趣味・なんかですら上辺のデータ化するんだな。…この「思い」ですらひとつのピース?