Feeling the world

昨日ホイットマンが詠ったような「みんなが僕の友だちだ」的な世界との結びつきを、今の東京において感じることは無理だろうけど近いところまでいくとしたらどうやれるかなあ、とぼんやり考えていた。「オニババ化‥」では出産で世界と一体化する、みたいなことが書いてあって、それは試してみたいような気もするけどすぐに実感はできない。自分の肌を境に空気からもう「他」だ、という感覚があって、その突っ張った感じをどこまで和らげられるかなっていうことで。明日は今日よりもよくならないかも…しれないから今日辛抱するのはやめよう、みたいなせっぱ詰まった感じもあるにしても、辛抱したからあるいはしなかったからといってこの「溶け合わない」感じは続く。多分日本でも田舎では緊張しなくてすむ…少なくとも、やたらアンテナを張り巡らさなくても世界とつながれる感じ、ていうのはあると思うんだけど。
オースターはトゥルー・ストーリーズで「NYについて自分が愛するもののことを書こう」と思い「地下鉄」を書いたそうだけど、それと同じようにその場所への愛を感じる作品が、曽我部恵一ギターで、彼が「渋谷の洋書屋で世界中の本のなかにいた…」と歌うのを聞くと、少なくとも渋谷が愛しい場所に思えてくるし、渋谷にいてなお世界とつながっている感じもする。当たり前の話かもしれないけど、嫌いだと言うことより、愛を歌うほうがつながっている‥少なくとも「引き受けている」感は強まる。だから東京を愛そうっていうわけでもないのだが、自分なりに愛しい場所を愛しいと言ってみる必要性は感じている。
…んだけど、今自分が住んでいる場所や、よく行く場所について、私はあまり愛情を感じられない。昔は感じられたけど。(そんなふうだからブログにもみっともなく日記を書き連ねてしまうんだろう。)で、今自分が考え得るほとんど唯一の世界とつながる感じ、ていうのはiPODかなと思う。子供たちや電車や信号や不特定多数の人に向けられたメッセージをとりあえず遮断してしまうのだからそれはほとんどselfishとすら言えるかもしれないけど、唯一、世界が間近にあると思える。*1

*1:投票権を持って数年、初めての選挙に行ってきた。三枚も書かなきゃいけないなんて…。裁判官のことなんて知らなかった…。投票所を出ると通信社の人がすたんばってて、ちょっと面倒だったのでiPODで身を守ってしまった。