翻訳本で、訳者が遊んだな、と思えるところ発見

ハンバーガー殺人事件なんですけど、Revenge of the Lawn, The Abortion, So the Wind Won't Blow It All Awayの"So the Wind Won't Blow It All Away"のp7で"The idea of frogs was as boring as the sun."というところがある。これを訳者の松本淳は「蛙釣りは太陽並み月並みだ」と訳している。ぷぷぷ…。松本さんも「ぷっ、俺っておもしろい」と思ったことだろう。翻訳者はたまにこういうことをするみたいだ。
昨日ロンメル進軍―リチャード・ブローティガン詩集を買ったのだが、高橋源一郎の訳はときどきわかりにくい。でも「愛してしまったがゆえに考えすぎてしまったのね」とでもいうか、原文と対訳を合わせてじっくり読んでいるとよく考えて訳出されたことがわかってくる。(ってなに素人が言ってるんだ…すみません。)藤本和子さんの訳の影響も見られて、全ての人は彼女の影響を受けつつ彼の作品を読むことになるんだなあと思った。「I(アイ)」を「わたし」と訳すとことか。社会人になった男性が突然自分のことを「私」と呼び出すようになるけど(プライベートでは比較的「僕」もいる模様。インテリはこのタイプが多いらしい。)、その「私」とは全然違うかんじの「わたし」。社会人でも男でも女でも学生でもなくなんだか身分とか立場とかとは関係のない「わたし」。