感動したくない。

今日は長くなってしまったので、更にここで話題をふるのも気が引けるが(なんでこんなに書くことがあるのか不思議だ)、「感動」について。Yちゃん(妖精のYです)がスポーツ番組を見ていて、タレントなどが「ああ、金メダルをあげたかった!!親孝行娘!」などと言うのに苛ついたと言っていたことから、「感動」という物語を押しつけられることについて、考えてみた。
だいたい何をもって感動とするのか、という難しい(答のでない)議論はさておき、なんでこんなに感動があけすけに是認されているのだろう。今日も電車の広告で「人前で読むな!男が泣ける10冊」みたいなのがあった。まあ、別にいいんだけど(泣いてる男なんてちょっと好きだし)、感動を売り込む行為は、お行儀が悪い。それは、より一般化すると、「なにかからなにかを得ないと損したと思ってしまう」ことだ。
さらに意地悪く言うと、「自分以外のものは全て自分の人生を豊かにするためのスパイス」と思う不遜かつ大胆かつ傲岸かつ横柄かつ、・・な態度だ。
思えばスパイス的なストーリーはちまたに溢れている。旅は気晴らし、読書は心を豊かにする、恋は刺激、アロマはリラックス、学校は向学心、仕事はやりがいと成長。(自分の意地悪さに驚く‥)。それはどんな行為からも、どんな経験からも教えや楽しみを得ようとする、実に前向きな、ごく自己愛的な態度だと思う。
他をスパイス化できる人は、多分よろこんで、自らもスパイス化させることが出来る人のようにも思う。ストーリーを生きることができる。というか自前のストーリーであれ、提供できる。
私は、自分のスパイス化も、他者のスパイス化も怖い。音楽は私の人生を豊かにするためではなく、なんだか出会ってしまって体内から震え出すものだし、向上心もないし、現実から逃げるために旅するのでなく、旅で現実を認識する。本や漫画は生きることそのもの。(スパイス的な本を読んでしまったら、そっこー売る。)。。。ohhhhhhと思ったら飛び込む。話が決意じみてきたと思ったら、もう深夜。おやすみ。おやすみ。