ブラックコーヒーよりもカカオ70%よりもビター。

あなたのとっている新聞はなんですか。
注意を喚起するために問うただけだが、教えてくれるんだったら教えてくれてもいいなと思う。前に、ほとんど話をしたことのないクラスの、いかにもお嬢様という風情の少女が、「私は朝日新聞しか読んだことない」と言っていたり、ふだんは恋の話などをする友達が「私は読売。なんでかっていうと云々」なんて説明していたので、人は小さなところで好みが分かれているんだなあと思うし、そういうのを知るのはけっこう好きだ。まあどうでもいいんだけど。ちなみに私はつい先日、東京新聞デビューを果たした。安いから。しかし月額1000円で、うんと紙面がうすくなるとより好ましいと思っているが。どうせ全部読まないし。読まないまま次の日をむかえるとまた新たな試練が配達されてくるし。私達は新たに苦しめられる。まったくもって新聞界はサドだと思う。
しかしながら私はわりあいこの新聞を楽しみにしていてーーってゆーのは、「運勢」がおもしろいから。
たとえば、3月27日の酉年の運勢はこうだ。

死に至るまで妄念の風波はやまず。妄念のまま生かされている事実あり。

4月2日、本日の午年の運勢はこうだ

いつ切れるやも知れぬ柔らかいなめし革のひもを腰に結び、せっかちを戒めよ

4月2日、戌年

雲は悠然として青空に浮かべり。泰然たるうちに思わぬ喜事あり。

サービス精神が旺盛な私のことなので、全部のっけてあげたい気もするが、今日は日曜、せねばならぬ勉強等もあるので、此にて終了したい。少し高飛車な、上からものを見たような、「つかお前は一体なにさまだよ?」的な運勢が書かれているのだが、けっこう癖があって面白いので、会社で東京新聞(中日などにものっているのかな)をとっている方がいたら、運勢だけでも見てみると、朝から苦笑いできる。ついでながら、他の記事もけっこう面白い。
まあこの運勢のことで、欠点があるとすると、できるだけ多くの人にこの記事のことを教えて楽しさを共有したいと思っても、「なに年生まれか」を聞いてしまうと年齢がほとんど特定できてしまう(まれに12年若く、あるいは老いて、見える人だっていると思うが本当に本当にまれだろう。人は10年以上、年齢を違えさせて見せることはできないからだ。)個人情報的な、きわめて敏感な問題をはらむことである。だから年上の人などに、「これ面白いんですよ!★☆」とか言っても、反応が鈍いことだって予想できると思う。だから会話に出すときは十分な注意と敬意を払ってーーー。しかしそんなふうに気を遣われていると先方に悟られないようにより気を遣わねばならないー、気を遣っていると思われないように更に気を遣っているのだと気取られないようにしなければならないーなどという悪の気遣いスパイラルが始まるので、もう無神経に、「この運勢見て下さい!」なんて東京新聞を差し出すのもいいんじゃないかな。私にだって、この運勢の面白さを共有してくれようとする幼子が現れる蓋然性だって、まあかなり低いだろうが、そんなときは相手に気を遣わせないようにーーつか、もうなんでもいいや。プー。