目が合う。んでなく、目を合わせる。

数年前など、その時点で5年はつきあいのあった友人と初めて(それがいまのところ最後になっているが、別に仲が悪くなったわけではなく、ただ、会うのが昼なだけだ)飲んだときも、まじまじと目を見て話すのが少し恥ずかしく思えて、下を向いて話したりなどしていた。
で、さすがに私も大人になり、目を見て話すという高等技術を身につけてきた。が、まだまだだ。なぜなら、最近、社会人の人(これは、頭痛が痛い、ドリンクを飲む、出木杉くんが出来すぎる、などと同様に重複という問題をはらんだものの言い方だが、「社会人」が「人」であるというよりは「記号」として扱われることを思えば、別にそんな重複どうでもいいかもって感じ!)と話す機会がたまにあるが、というか、友人恋人家族親戚同級生などと会わない限りこれ、かれらとしか話さないという日々だが(とはいえ卒業前など自分としか話さない日が続いていたので自分以外と話す環境にいるというわけで私は感謝すべきだが)、もう猫も杓子もアイコンタクトなのだ。けして偶然目が合うわけではない。双方の意思によりそれは起こる。決まっていた事故のように。ていうか日常の作法として。
アイコンタクトがコミュニケーションだとあなたは云うかもしれないが、あまりにじいっと見られると、ちょっと目を背けてみてどんな反応が起きるかさぐってみようかなどという邪心が起きるのであり、ーーということはとりあえず考えないでおくとして、アイコンタクトにおいて、まなざしを注ぐ、その先はまなざしだ。つまり、ひとは視覚的に、より広範囲をとらえられるはずだが、アイコンタクトにおいてとらえられるのはせいぜい相手のまなざしだけであり、つまりそこには、もう既に顔だとか、体だとか、その他の背景だとかは存在せず、もうまなざししか存在しないのだ。まなざし対まなざし。
とにかくこのアイコンタクトに慣れなくちゃ、それどころか私の方から見てもいい、と、今は思っておこうと思う。