最近、よく服を買う。

気まぐれに新宿に行く。伊勢丹に行く。店を見る。いい服に出会ってしまう。これの繰り返し。
今日は、イッセイミヤケの服を見たくなって、伊勢丹まで行った。
すてきだった。
しかしちょっと高い。だから、本当に気に入るものを見つけるまで、また行こうと思う。(見つけた後も行く。)
ここ一ヶ月、服に使ったお金は、思い返してみると、11万円だった。


きれいな服を、若いうちに着たい、そんな欲望のあらわれかとも思うし、嬉しい!楽しい!みたいなのもある。


新宿で街のひとびとを観察していると、「服を着ること」を、自分のものにしているひとは、すくないと思った。むろん、皆、服を着ているのだけども、なんだかしっくりきていない。言葉を選ばずに言うと、ぜんぜんおしゃれじゃない。むしろ裸のほうがきれいなんじゃないか。とまで言うのは、ただのうそ、おおげさ、まぎらわしい(でもほんとかもしれない、なんか裸ーーってか、肌って、きれいで愛しいから)。なんだか他人の服を断罪しているみたいなので言っておくけど、今日の私の服は、かなり甘めに見て、ひどかった。
こういった、服とひとの不一致は、もちろん、個人の趣味とセンスの問題もあるだろうけれども、服側にも責任があるんじゃないか。というのは、私は大手スーパーの服売り場を通ることがあるんだけれども、また新宿でも、京王モールの服やさんなどをちらっと見ることがあるけれども、どう考えたって、あれらの服は、誰かが袖を通すのを、腰を入れるのを、本気で待っているとは到底思えないのだ。誰にだってしっくりこないのだ、きっと。


まあけど、服が似合うひとっているよね。giftedって感じする。オダギリジョーとか、そういう感じじゃない?