会話をすること。

最近話をしていると、相手が見えるというより、自分が見えてくるーーっていう感じがする。で、たいていの場合、見えてくるのは、悪い自分でしかないため、いちいち、少し滅入ることになり、しかしながらそこは大人、そんな逐一凹んではさらに消耗するだけ、とわかっているので、今日も会話をするのであった。
ちなみに会話をすると、自分という現象があらわれるーー的なことを言ったのは三浦さんだけども、彼の本がどっかいってるので引用できない。見つかったら引用したい。
てなこと言ってたらすんなり発見。

対話において、自己自身があたかも向う側からすなわち自己の外側から見えてくるような思いに襲われるのは誰もがしばしば経験するところである。熱心に語り合っているときに見えてくるのは相手の輪郭であるよりもむしろこちら側の輪郭である。こちら側の姿勢なり方法なりがまさに語り合うことによって確定してくるのだ。(『私という現象』 p27)