どちらがいいとも言い切れない。

一日ごろごろしていたおかげで、ちょっと体が回復したように思う。わーいわーい。
話は変わるけど、少し前に、AかBかどちらが優れているのか、どちらが好きか、と言われ、私は「どちらも嫌いじゃない」なんつって答えたわけなんだけど、それについて、なんで明言しないのかと、問われたことがあって、そのことについてほのかに考え続けていた。
それで、たまたま今日すこし読んだ本に、ちょっと関連することが書いていて…

読んでいるうちに、いくつかの論文で徴候的な文型が繰り返し現れることに気がついた。それは「……という主張と、……という主張があるが、私にはどちらがいいとも言い切れない」というものである。
(略)
「私にはわからない」という判断留保は知性が主体の内側に切り込んでゆくときの起点である。「なぜ私はこのクリアーカットな議論に心から同意することができないのか?」という自問からしか「まだ誰もことばにしたことのない思考」にたどりつくことはできないからである。

評価することは本当にむずかしい、と思う。
それは、たとえば賛否両論があるよ、なんていった場合に、その賛否のいずれにせよ、言葉の意味の発現に過ぎないっていうか、まあそりゃあ賛否両論あるだろうなあ、なんて思ってしまうというのもあるんだけど。賛否のどちらの立場をとるにせよ、それは立場に過ぎないかなと。まあそういう個人的感慨とはまた別のところで(とはいってもこんなの別に個人的でもなんでもないんだけど)、内田さんの引用部分から考えると、二つ以上の考え方の間に身を置いて、しばらく待ってみるのも手なんだろうか。うん。
ああ、でも、この件についてはまだあるのだけどそれはまた。


と書いてみて思ったけど、別に、今、自分が、なんの二つの考えにも引き裂かれていないことに気づいてしまった。平和な日々です。