言葉にこだわる意味はなんだろうな。意味にこだわる意味はなんだろう。
私は人が「客観的に見て」とか言うのを、are you GOD or something? なんてな感じできらっとるんだが、「客観的に見て」と簡単に言える人が言葉を大事にしているとは到底思えない。その軽んじられた言葉にたいして、発話者の熱のこもらない言葉にたいして、怒ることはたんに消耗かもしれないとも思う。(ちなみに熱がこもりすぎててもいやだ。)軽率さにたいして、慎重に、注意深く言葉を尽くしていく人たちもいるけど、ほんとにすごいなあと思う。論文とか読んでるとそう思う。
話変わるけど、最近弁当派だ。お手製。細木和子が「お弁当をつくって会社にいったら、”お弁当つくってきてるの?”ってな感じでいい人(=男)が見いだしてくれるのよ」的なことを言っていたからではない。むしろ、そんなもくろみがあったなら、とかくこの世は麺しかないのか、と疑いの念を禁じ得ない内容(=ビーフン、パスタ、焼きそば、ビーフン、パスタ、焼きそば)のものを持って行くはずがない。色合いだって悪いのだ。保護色では愛をしとめられないだろう。
もとより、私は弁当とか、家という文脈を、会社という文脈に持ち込むことはあまり好きではないのだ。家の自分と会社の自分はまったく別物でありたい的な欲求があるのだ。だから侠気をつらぬいて、外食を続けてきた。しかし、外は暑いし、外の飯には疲れ果ててしまった。
明日の弁当はビーフンだ。