自主性とか。

わけあって、ビラ配りをした。ひとはビラを配られることをいやがる。私も、あまり受け取らないほうだ。
でも、配られるのではなく、ぽっとそこに置いてあるのだったら、読んでみようと思うかも知れない。
それは、まさにいま配られているホットペッパーを受け取るのはなんだか面倒だけど、ぽいと置かれているホットペッパーなら読んでみようと思うようなものだ。
熱心に販促されると買わないけど、カタログや、お店で、たくさんの物に囲まれたなかではふいに買ってしまうようなものだ。
そこにあるのは、「私が選ぶ」という感覚なのだと思う。
でも、お店にあるものを自分が選ぶことだって、人に強く勧められたものを受け容れることだって、べつに、たいした差はないと思う。
だから、いろんな進路の中からこれだってものを選び取ることも、周りがいいよっていう道を行くことも、無数の異性の中から誰かを選ぶことも、お見合いで知り合ったひとと結婚することも、ほんとうはたいした差はないのだ。そこに差を見てしまうことが、私たちが自分があることを信じている証拠なのかもしれない。
とはいえ、自分の人生。自分なんてなくても、自分を幸せにしようとしなければいけないのだ。