いやになるほど人を知るなんて

こないだ、オザケンの歌の、

いやになるほど誰かを知ることはもう二度とない気がしてる・・・

を思い出して、私も急に、そんな気がしてきた。誰かを本当に知るためには、踏み込み続けないといけないんだと思う。一線を越え続ける。家族になっても、思いやり続けても、そこの線が越えられるかどうか。
でももしかしたら、今、いやになるほど知っている人がいるかもしれないとも思う。人を知って、いやになっているだけなのか、いやになるほど人を知って、そこに希望を見いだそうとしているのかーーちょっと、わかんないな。