推測だっちゅーの。

推測→断定→非難、という流れを、最初の推測の段階でなんとかもみ消したい! と思うんだけど、何を言っても最後の非難まで突き抜けてしまうときってある。「きっとこうだろうな」という推測と、「絶対そうなはず」という断定。
たとえば、新人が、先輩への出産祝いをより上の立場の人と一緒にお贈りしたら、上の立場の人にしか内祝いが返ってこなかった(お礼もなかった)とする。
可能性としては、
「ケチった」「新人だから軽んじ、上の立場の人は昇進に関わるから重んじた」「新人のことが嫌い」「二人からの贈り物だということは忘れていた」「二人からの連名とはいえ、上の立場の人がお金を出したと思った」
などが推測できる。
だけど、だからって、
「絶対、ケチった」「やっぱ、男って地位の上の人のことしか見てないよね」「だから契約の一つもとってこれないんじゃないの、と個人的には思うけど」
とかまで話がおっきくなると、これは断定で非難だなあと…。
たぶんそこにあったのは事実だけだったのに、いつの間にか推測が、断定され、非難が、確実性をもって語られる。それって危険なことだ。つか、「推測ですが」とか言って、平然と非難をするのはやめるべきだ。断固。でも「推測ですが」とか言って、平然と非難をしてるってあなたは思ってるけど、平然なわけじゃないんだよ、とか言われると、ここにも推測があったということになり。
ていうか、簡単にムキャーって発散する人に当たり散らされたとき、もともと慎重な人間はけっこうダメージ受けるんだけど、当たり散らした当人はすっかり発散されてしまい、また、時間をおいて同じことをしたりするのでそれがいかん。いかんですよ。

クリスマス・イブ・イブですね。西野くんにはがんばってほしい。好きですから。