世襲制とか多様性とか

最近なんでも世襲制だよね〜という。
たしかに。
まわりでも医者の子供は医者。教師の子供は教師。公務員の子供は公務員。会社の中でも子供が入ってきたり。あとは紹介制。
これって、「自分たち以外を認めるのはエネルギーがいるし面倒くさ」くて「だから同じものどうし」いうことなのかな。
多様性を認めるのは難しい。覚悟がいると思う。だって違うんだもの。違うといっても、「予想できる範囲の違い」なら認めやすい。余裕を持って「違い」を甘受できるし、「予想の範囲内」なら驚かない。だけど予想もつかない相手だったら?
だけど本当に多様なのかどうかもわからない。私たちはことばにあらわさないだけで均一な反応をしているのかもしれない。均一な感情は怖い。