生きのびるために笑う、ための儀式

おもしろかった。「連絡舟のうどんの味が、記憶の深部を揺さぶった」についてなんだけど。

四国出身者にとって、あのうどんは、特別に意味のあるものでした。
それは「本場さぬきうどん」を食べる最後のチャンスだったということです。
旅人は、うどんをかみしめながら、「このうどんを食べ終わったら、東京や大阪での生活が始まる」と思っていました。それは、故郷の味に別れを告げる儀式でもありました。
里帰りの時は、東京や大阪の文化圏から、最初に接する"四国なるもの"でした。

昔はいまはなき高松と岡山の宇高をつないでいた国鉄の連絡船のオープンデッキにあり、いまは高松駅構内に移った連絡舟うどんについての記述だ。
思うに、故郷のある人はこういった儀式を必要とする、いや、それに救われ、守られるものではないか。
四国出身の友人は、羽田のスタバでラテを飲んで、「東京に来たぞ」と気持ちを引き締めていたという。
故郷を離れるぞっていう、哀しみ。東京に来たんだからがんばるぞ、っていう儀式。これを帰省のたびに繰り返すのだから、まったく、もう。
なお、連絡船のうどんはおいしい。鴻上さんは移転前よりコシが増えたことを感じとり、それは必ずしも好意的な反応ではなかったけれど、私はあのコシを食べて、「四国なるもの」を感じる。まあ、コシのない四国のうどんとか、わりとあるんだけどさ。