走ることについて語るときに僕の語ること

走ることについて語るときに僕の語ること

走ることについて語るときに僕の語ること

そういえば春樹さんはランナーだったんだなあ。すっかり失念しており、1Q89では、医療職じゃないのにこの筋肉へのこだわりようすごいなーとか、のんきな感想を抱いていた。
ただ、私なんかは、言ってしまえば、頭で筋肉を理解していて、ここにある筋肉が●●筋で、この筋肉は持続性があって、みたいな、そういう理解なんだけど、春樹さんのエッセイを読むと、マラソンを通して、「体で」筋肉のことが、腑におちている、という気がする。私はちゃんと筋肉を動かしていないからーーといっても、ただ座っているだけでも筋肉は仕事をしているのだけどーー、体のことなんだけど、体でわかってない。
走る春樹さんを、ハーバードの新入生たちが自転車で追い抜いていくところがあって、こんな一節がある。

彼女たちの多くは小柄で、すらりと痩せていて、ハーヴァードのロゴのついたえんじ色のシャツを着て、金髪をポニーテールにして、新品のiPODを聴きながら、風を切るように一直線に道路を走っていく。そこには間違いなく、何かしら攻撃的で挑戦的なものが感じられる。人を次々と抜いていくことに、彼女たちは慣れているようだ。

こういう人っているよなあ、としみじみ思った。
「走ること」にはまった友人が四人いて、彼女たちの話を聞いていてもいっこうに走ろうという気にはならなかったのだけど、なんとなく、走る人の思いの一端を見せてもらったような気がする。
走る人のストイックな感じって、でも、憧れるなあ。