アンダーグラウンド

アンダ-グラウンド

アンダ-グラウンド

図書館で借りた。
東京にずっといたわけだけどこの事件について思いをはせたことはなくて、あったとしたら、霞が関を通ったときとかにちょっと思い出すくらいだった。すごく無自覚だったんだなあと思う。
自分のよく使っていた駅でサリンが持ち出された、とか、そういう話を読むと、穏やかな駅しか知らない私は、うんと、事件の場面を想像するんだけども、にわかに信じ難くて、でも、あったことなんだなあと。
電車に乗っていて、乗客の人生を思うことなんてありえないわけだけど、こうやって、たまたまこの事件に乗り合わせた方々の事件の話を読むことで、かれらの人生の話も見えてくる。普段、自分の話ばかりする人がいたら、面倒だと思うかもしれないし、あるいは紋切り型に普遍化されてしまうことばかりだけど、ある人間の、個別の、人生の話に傾聴することはおもしろかった。
サリンの作用を、あらためて文字で読むことで、「都会で起きた怖い事件」だったのが「症状」として見えてきた。危機管理のこととか。病院の対応についても、「ああ、もっと早く」と思ったし...事件が起きても、自分とは関係ない事件って思わず、どう処置するのかなど、知っておかないといけないなと。

私はやがて判断することをほとんど停止してしまった。何が正しくて何が正しくないのか、何が正常で何が狂気なのか、誰に責任があって誰に責任がないのか、それはこの取材にとってもはや重要な問題ではないように感じられてきた。

普段、友人と話しているときも、私は「判断」をしがちだけど、「判断なんて、しないほうがいいんじゃないか」と最近思っていたところだったので、なんだかちょっとどきっとした。私のことは、大きな事件じゃなくて、小さな、小さな、日常の、たとえば友人との話とかなんだけども。