個別性に向かっていけるか

私は一応、公平であることを大事にしているし、自分自身も、特別に自分が愛情をかけている人にはもちろん愛されたいけれども、そうでないほとんどの場合では、公平に扱われたいと思っている。
けど、こないだ、公平に公平にというけれど、個別の対応をするのが面倒なだけじゃないの? というのもあると思ったことがあった。それぞれのことを個別に考えて丁寧に対応するのが面倒だから、公平に「配慮なし」にしているんじゃないかという気がする。特にそこになんの愛もなく、仕事とかの付き合いの場合はそう。できる限り感情を動かさないように、何にも巻き込まれることがないように、自分にふれさせないように、しているのかなあと思う。自分も自分の気持ちに周りを巻き込まないようにしている。ブログにはいろいろ書いているけど。唯一、どうしても気持ちを伝えたいというとき以外は表情を身に付けた能面みたいだ。
「少なくとも自分はあなたの敵ではない」という以上の誠実さを開示することができたら、なにか変わるだろうか。変わる必要はあるだろうか。よくわからない。