毎日同じ服。

最近、毎日同じ服を着ている。
Tシャツにパンツ、といういで立ち。
着心地が良すぎるTシャツに出会い、それを何枚か買って、そればかり着ている。あとはストール巻いたり。ストールはまだ欲しいな。
平日に服についてあれこれ考えなくてもいいのはわりとありがたいし心地いい。

化粧をめぐる礼節の問題

電車内では化粧したことはないんだけど、化粧をすること=会う相手への礼儀とすると、つまりは電車内の人に対しては礼節を欠いてもいいということになるから。でも女子トイレならなんでしてしまうのかと考えて、同性なら化粧前後の姿を見られてもそれは礼節を見せる相手じゃないからということになって。でも同性とはいえ知らない人間ばかりで、変身前と後を見せても平気ならもはや化粧は異性に対するアピールなのかということになり。同性に対しても礼節を保ちたいとなると、もうトイレの個室で化粧するしかないなと思うし、そもそも夕方になったら雑巾みたいな顔になるのがいけないわけで、そうなってくると朝の化粧の輝きをえんえんと続かせる化粧品を開発してよってなるし、そもそも他者から見れば化粧前後の違いなんてほぼ気づかないものなんだから化粧するなよってなるのか。

怒ってます

最近、絶望とか怒りとかがやばいんだけど、そういえば去年の秋から冬にかけて、星野源を聴きまくりつつ新しい街を通勤していた頃はけっこう幸せな気持ちだったかもと思って星野源を今日おまじないのように聴いてみて、ちょっと救われた。こんなにすてきな人がいてくれるというけっこう原始的な安堵感もある。その安堵感が私をここにとどまらせるのだし、とりあえず私の力が届く範囲で、なるたけその範囲を広めるように努めながら、この社会をあきらめないように少しでもよくするようにと働き続けるのだし、参政権を持つものとして国民として権力を監視しながら、この怒りをずっとしつこく持ち続けて生きていく。

よかったよかった

大切で手放したくないと思っても時間が過ぎ去ると、どうでもいいものになることもあるね。私が高校のとき、こんなに大切なものはないと思ってた千原兄弟のJrさんデザインのペンケースとか…

似ている

学校や職場など、まあ組織を転々としていると、似た顔に出会うことがある、と前も書いたかもしれないけど、似た文章に会うこともあるなって思った。どうしてこの人の文章はしっくりくるのかなあ、と思っていたら長年読んでいたブロガーさんの文章に雰囲気が似てることに気付いた。読みなれているものに似ているから好感を持ったんだなって。顔だと、結局は、性格が合うかどうかになるんだけど、文章ってその人らしさがあらわれているから、きっと顔がどんなに違っても、しっくりくるだろう。

今日は絶望のはじまりなのかな。

私には子供がいないし、その予定もないけれど、未来がどうなってもいいとは思ってなくて、自分自身であることを誰もがあきらめなくてすむくらいの自由は、どうしたって必要だと思う。