どこにいても。

いつだってどこかにはいるわけだけど、そこに属してしまうことはこわい。外にいるときに、どこかに属しているじぶんであることも、「内」的なことだと思う。
んー、なんかわかりにくい。っていうか、わかってない。このことってずっと腑に落ちてなくて。ほとんど不寛容とも言えるほど(ていうか、確かに不寛容なのだけど)、「内」がこわい。
たとえば、どっかに属していてその内部でのみ通じる話をするのは、おしつぶされそう。でも一般論で話をしたいってわけじゃない。また、そこにいながら、そこ以外の、より小さな場に属す自分を見せるのもいやなの。内が内を浸食し、、ああ外に出なくちゃ!みたいな。
ここまで書いて、あ、これが抽象論というやつかと思った、めんご。
なにかを共有することで世界を固定していくのが苦手。というとわかりやすいかな。で、こういう苦手だ、みたいなことを、本当は言う必要もないのであって。
こんなこと書きつつ、いつか、旦那さんと子供にまつわる話ばかりしてこういうのがやっぱり幸せだって思うのかもしれないし、そうやって「内」の話をしてももう負けない自分になるのかもしれない。もしかしたら、村みたいなとこに住んでる人って強いのかもしれないな。なんて、本気で思ってるわけでもないんだけど。