思いをぶつける

最後にひとに思いをぶつけたのはいつだったろう、なんて思い出さなくてもわかる。一年前だ。自分よりも年上だからといって、甘えたんだった。ぶつけたことを恥ずかしいと思うだろうと思いながら、でも伝えてみようという思いの方が勝ったんだった。あー。もうそういうことはしないだろうか。わからないな。

すごくかわいい子だったから。

実家の片づけをしていたら、このブログのタイトルにもなっている犬の写真がいくつか出てきて、本当にかわいい子だったなあと思った。もう10年くらい、亡くなってからたったんだろうかって思って数えたら、14年たっていた。またいつか犬を飼うことはあるだろうかな。わからない。

過去と現在

実家に帰ったとき、小学校のとくに仲よくはなかったけど、別のクラスの女の子が、雑貨屋さんの店員さんにいて、向こうは多分私のことを覚えていないだろうから、声はかけなかった。彼女には名札がついていたからわかった。20年以上の時が過ぎたんだな。
すごく綺麗でやせ型の子で、今思えば少し低栄養だった可能性もあるけど、小学校のときは、その容姿が羨ましいなーって思ってた気がする。今では私は私の人生をまるごと、受け入れているんだけど。

日々を進める

できれば身軽に、大きな決意などなく、多くの種類のことを同時進行したいと思う。たとえばイタリア語の本を読んだ後にアラビア語を学んで、金沢に行った翌週には東京に行って、休みが許せば海外にも飛んで、それが無理ならたまには異国のごはんを食べて、複数の仕事上の課題について前に進めながら、映画を見て、人と会う。限られた世界で限られたことだけをしていると、わたしはうまく生きていけないのだと思う。でも確かな決意を持ってもけしてうまくできないこともわかっているから、平常運転で、いろいろ、やってたい。

あともう少しだけ

自分でも最初から「あ、いま夢をみている。わかってるけどもうちょっとみさせて」みたいに思って、平気で数か月単位で夢をみたりして、小さなイベントを積み重ねて、徐々に覚めていくんだけど、完全に夢を覚めさせるのは、また別の新たな夢が修飾したときだったりする。