山に登った日のこと。


年をとると思わぬことをしてみるもので、今年は、山に登りたいような気がして、山に登った。これまでも、活動的な人に誘われるような形で登ったことはあったのだけれど。
酷い台風が去って1か月もたった頃なのに、その台風の爪痕なのか、別の機会にそうなったのかわからないけれど、根こそぎ、木が倒れていたりした。山に慣れていないのに、ちょっとハードだったかな。
緑の中にいるのは私にとって、救いのようなもので、ここでなら、私は私らしくいられる、誰にも遠慮せずに、のびのびと、という気がする。
とても運動音痴なので、次々、抜かされるんだけどね。でも楽しかったな。また登りたい。

集中できない

若い頃よりは、集中できるようになったんだろうかと思う。昔は、会議なんかで人が話しているときも、本当に何を話しているのかまったくわからなかった。今は発言することができる程度に、少しわかる。今でも、四方八方から言葉が聞こえてくるようなところでは、全然わからないから、あらかじめ情報を遮断するようなところはある。聴覚情報だけが弱いわけじゃなくて、読んでも、頭に入らないことが多かった。
もっと集中できる人生だったらよかったのかなと思うけど、それでも、まあ、がんばったほうだよ。

とても短い旅へ。

祝祭的な、というと手垢にまみれていて、見たものをそう表していいのかわからないけど、とてもきれいな時間と空間を過ごして、わたしはこの経験をきっと今後の人生で頼りにし続けるのだろうと思った。

長袖に腕を通して。

秋になると、新年度にも慣れました、という感じで、随分とゆっくりすごせる。蒸し暑くなくなるからだろうか。
このブログを始めたころは、私は20代前半の若さをもって、私自身の偏りが私を生きづらくさせていたように思うけど、ここ最近は、私側の問題じゃなくて、日本がひどい場所になってきているのかなという気がしている。私自身の生きやすさで言えば、生活は苦しくないし、できることも幾分増えて、それほど人生は悪くなくなってきたのだけど。
日々の希望を、映画や文学や漫画で得ているのは前から変わらない。あとは簡単に遠出する。

緑を求めて、ではないんだけども。


最近緑ってきれいだな、とあらためて思う。木々のあるところを求めて、少し坂を上がったりすることもある。
どこの緑かなんて、わざわざ書かれないとわからないほど、特徴はないけれど(植物に詳しい人が見れば、植物のはえる地域を言い当てるのかもしれない)、この緑は隣国で撮った緑だ。市庁駅付近だったかな?
身近でも、時に耳を覆いたくなるようなヘイトや、差別が聞こえてくることがある。だとしても、私は、自分の常識を動揺させるために気軽に居場所を抜け出したいし、移動した先のごはんを食べて、人と話して、遊んでいたいな。