火曜日(プーアール茶飲み始めた。)

彼は花園で夢を見る (ウィングス・コミックス)

彼は花園で夢を見る (ウィングス・コミックス)

よしながさんは、コマ割が上手だ。顔を静止させて、ちょっと「ためる」感じで、その「ため」によって、「許し」が静かにやってくる感じ。うーんわかりにくいよね。よしながふみは、かなり大人な作家だと思う。台詞とか、すごく大人だよね。ラウリーヌの花のエピソードもまた!よしながさんって、学園もの、BL、歴史系、パティシエ、なんでもできるんだなー。なんでもできるといえば安野モヨコもだけど、彼女の描く女性は強くて、自分がイヤだと思ったときに「嫌だ!」って言える人なんだけど*1、よしながさんのは、そういう強さはない。あくまでも弱い。人は弱いし間違えるしっていう感じだ。他の少女漫画みたくしょうもないことで悩んでたり*2もしない。なんかね、そういうのはあっさり越えてるっていうか、全然気にしてない。というわけでこれからもよしなが作品を買い集めようっと。


[起床とメランコリー]
最近、朝の10:30に起きるというのが常である。するとほんとにすぐに昼がやってくる。そして17時の時報*3。そんなんばっか。時間的に、ニートサイクルである。これでも昔は、全然普通の人生から外れないだろうと思っていたんだけど、外れ始めると止まらないなあ。ブログを書き始めた頃は、けっこう明るかったけど、次第に、メランコリー化した。三浦雅士も『メランコリーの水脈』で、メランコリーの状態はずっと続いていたと言い、

いつも胸に蒼ざめた空洞を抱えているような気分だった。要するに不安だった。そしてその不安のために、多くの人に迷惑をかけたと思う。加害者が被害者をつくるのではない。たいていは被害者が新たな被害者をつくるのだ。不安が解消されたのは一九九〇年代に入ってからで、そういう自分の心理のからくりが、つまり過去のかたち、心に投げかけられる記憶の陰影の新たな意味が、はっきり見えるようになってからである。

と書いている。1990年代っていったら、著者にとっては44歳〜。まだあと20年は不安定でいいのかな。と思ってみたりもするが。「現実の荒々しさを少しでも緩和するためにすべてを疎外感のオブラートに包んでしまおうとしていた」と。ありうる。こうやって書き連ねることが「被害者が新たな被害者をつくる」ということになりかねない。メランコリーだけが、共鳴を共闘にできない。


[伝説のギャグのこと]
「それ取って でも8分後」(By 村越周司)おもしろすぎ。


[曽我部さんと下北沢]

sketch of shimokitazawa

sketch of shimokitazawa

rose recordから届いた。「有名な踏み切り」の文章が好きだ。ちょっとオースターのトゥルー・ストーリーズ「地下鉄」に似ている感じの、自分のいるところを心から愛する感じの、文章。曽我部さんみたいな人がお兄さん的世代にいてくれてほんまによかったわあ。と思わず方言が出てくるほど、曽我部さんは間口が広いのであって…


[洗濯機]
おまかせコースにしてもお急ぎコースにしてもやがて毛布コースに勝手に転換して止まってしまっていた洗濯機が、なんか正常に動き出した!いままで、「あ、また毛布なったわー」→蓋を一度開ける→おまかせコースに戻る→止まる→・・(最初に戻る)を繰り返していた。1ヶ月半もこんなだったので買い換えなくちゃと思っていた。うれしい!

*1:余談だけど、モヨコさんの作品は、やっぱ勝ちたいや勝てる人のための作品っていう気がする。あたしはこうする!系の漫画は、なんとなく好きになれない。よしながさんの作品が、人に対する慈愛といってもいいようなもの、を感じさせるのは、よしながさんがボーイズラブという、ちょっとアウトサイダー的なところから出てきた作家というのもあるかもしれない。大手の出す漫画よりも、小さな会社の出す漫画のほうが、成熟しているかも。芳文社から出てる今市子の『大人の問題』とか、すごく大人っぽい気がした。

*2:『きみぺ』における「私バリキャリだからイジイジ」とか榎本ナリコ作品における「体と心ワタシニハカラダシカナイ!」とか…別に悩むのを止めはしないが、まあ、しょうもないといえばしょうもない。

*3:私はこの街の時報が好きだ。