卒論チェックのために居座っていた喫茶店で書きました。友人は来ました。

卒論の最終仕上げ、にしてはものすごく校正したが、ともかくそのために喫茶店にいる。友人が寄るかもしれないと言うので、待つ。思わせぶりである。
明日が卒論提出とは信じがたいが、とくにがんばったわけでもない(日々のはてなの文章量の多さを見ればあきらか。とはいえ、私は文章を書くのが早いので、時間的な費やしはすくない。それ以外の膨大な時間を卒論に費やしていなかったのがむしろ問題である。)ので、感慨はないものの、自分の好きな作家のことを、大手を振って論じる機会は、これで最後だろう。
「これで最後だ」だという状況は、これまでにも時折あった。
・ 体力テストでやる、平均台を上り下りして脈をはかるやつ(苦しかった。)
・ 第2ボタンをもらうこと(もらっても数年後には捨てにくいゴミになること必至なのだが、胸のときめくイベントであり、誰にとってもこのような甘酸っぱい青春という幻想時代がある(あった)ことは、われわれの現実を照らし続ける。)
・ クラス替え(春は、よろこびと不安が胸を突き刺したものである。)
ところで、私は小学校の頃、ピアノに水泳に少林寺拳法にお絵かきに、さまざまの習い事をしていたが、スクールからの帰り道、あるいは友人と遊んでいるときなどに、肉まんを食べるのが好きで、それは肉まんが10年強しか生きていない人間にとって常におどろきと快楽をもたらすものであり、ちょうどその頃コンビニが地元で普及しだして肉まんを買うことがたやすくなったからだが、その連日の肉まんにより、「もう、肉まんは要らない」という、肉まん的閾値に達した。
しかし、最近、また「肉まんが食べたい」と思えるようになった。
だから、今日、私は「ああ、もうこれで学生生活が終わるんだ」という感慨とともに、卒論を書き終え、大教室に向かい、提出することになるけど、出し終わったときのこと、少し学校の周りをブラブラすることになるだろうこと、がもう予想できて、既に少し懐かしい。