消費を消費、

企業VS消費者、の構造に、なぜマスコミは飽きないのかー。と思うけど、実際マスコミ人も、けしてそんなにばかではない。さりとて、「視聴者が見たがってるからその情報を提供する」といっても、視聴者もそこまでばかでもないだろう。たまに素直になんかのキャラや感情を代表して生きてしまうひともいるけれど*1ーーまあ、そういうことも含めて、…非難や、思いつめ、あるいは思いつき、にみんなが巻き込まれていく構造って、はためには「自分の意思を伝えている」ようでいて、どこにも自分なんてなくて、なんか、ちょっとした変身願望みたいなものに支えられているような気がする。別のものになる、みたいな。
恋に恋してるときに感じに似てる。どうでもいいことが大事に思えるあの感じ(どうでもいいなんて、言うべきじゃない)。
「消費者」が重んじられても「消費」は重んじられない。別にそれでいいと思う。なんでも、人さえも*2、軽く軽く、消費して、消耗品として使っていけばいいと思う。でも、力を込めて、いっしゅんで忘れられるために心を込めるんだろうな。

*1:スッキリ!の女性コメンテーターとかってそんな感じ。あれは仕事だけどね。

*2:でも、私、やっぱり個人的なレベルで、自分が誰かに消費されるのはいやで、できたら蜜月な仲になりたいって思うほうだ。パブリックでなら別に消費で構わない(ただしそんな機会はないけどね)。