Make it easy, simple, and loveable

LifeをEasyにSimpleにLoveableにしよう、と思っているんだけど、いろんな邪念があって、なんて世俗的な私、と思うわけなんだけども。過剰な要素をおいて、不足してる要素を埋めればいいのかな。
こないだSPA!の鴻上尚志の連載で見たところによると、最近の演劇は、悪意を解毒されずに終わってしまう、希望をもたせないまま終わってしまう、らしい。演劇なんてあまり見てないからよくわからないけど、ここ1年間で見た演劇を思うと、そういえばそういう感じもしたのかなあと思った。そこで鴻上さんは下のように思ったそうです。

ひょっとしたら、みんな、必死で自分の悪意を解放して、小さな小さな自分の悪意を、なんとか大きく作品に育てようとしているから、最後に悪意を開放してしまったら、自分がただの普通の人になってしまうと怯えているんじゃないだろうか

この発言に私はけっこうどきっとして、自分が悪意のカタマリのように思えるとき、それは自分がそれを手放したらどこにすがっていいのかわからなくなると思ってるんじゃないかと思った。自分としては自分が悪意のカタマリだなんて思っちゃいない(けっこうドリーミーだし)のだけど、批判的なものの見方をするとネガティブだって思う人もいるし。だけどそういう人も、自分と同じ肯定を人も持っていないと、自分のよさが奪われるような気がしているのかもしれない。
よくわからないな。だけどLoveableにしたいというのはほんと。そのためにいま一つ一つ、問題を解決していっているところで、うまくいくかわからないけど、時間をかけてやっていきたい。