Too lazy to do what I need to do【本当に好きなのか】

で、またどうでもいいことを考えてみることにした。

君はそれを好きだと言うけど、それを好きな君自身を愛しているだけじゃないのか。

たとえば私は今、まぎれもない犬好き、猫好きだ。今日も店先にいる猫を勝手になでて、「かまれるよ」と店主にたしなめられた。犬もマルチーズなどの犬以外ならほとんどどれでも好きだ。なでさせてくれるというならどこまでもなでる。でも中学の頃まではそうでもなかった。犬を飼い始める前は、犬をなでることはパフォーマンスの一種だったように思う。「動物をかわいがるあたしが好き」みたいなもんだ。それを自分でもかなり意識していた。
そういうことって多いと思う。子供好きな、小説を好きな、単館系映画を好きな、美術館の好きな、笑顔の好きな、ハーブティの好きな、一人でいることの好きな、あるいはみんなといることの好きな、小動物を好きな、一人の恋人だけを好きな、料理の好きな、…私が、好き。なんてちょっと意地悪だろうか。
だからなにかを好き、ていうところには危険がある。食べ物みたいな直接的欲望とリンクしているものですら、判断対象になりうる。「屋台が好き」な私が好き、てことは十分にありうる。そういうのって、逆のアピールも可能で、たとえば「コーヒーの味にこだわる」自分が好き、の反対で「コーヒーの味にこだわらない」自分が好き、てこともある。あー。
でも、まあ、それを好きでも自身を愛しているのでも、どちらでもいいような気もするな。だってやらしいし。