今日は書くことがないなあ。満たされてるのか空っぽなのか。


「感覚」についての話は苦手で、別に「理論」に従うわけでもないんだけど、「感覚に従うのが大事」みたいなのとか、「直感、っていうのかな。」みたいな話とか、聞いてると、妙に疲れる。まあ自分が自分の直感なんてあてにならねーなと思ってるっていうのもあると思う。もともと何かを説明して欲しいと、誰に対しても思うわけではない(わからないまま放っておく)から、理論的あるいは感覚的説明のいずれにも傾倒できるわけじゃないんだけど。なんか、観念的なくせにそうじゃないそぶりをしてほとんど天然的にそれに気づかないでいるとこが苦手なのかもしれないし、自分の「感覚」を信じられるその楽観性がうらやましいのかもしれない。ああ、なんだか意地悪なまとめになってしまった。

でも最近は自分の意地の悪さにも慣れてきた。これは「意地悪く見えても真実を知っているんだ」的含みで言っているわけではなく、ごくふつうに意地が悪い。友達の中でもピュアな部類に入る子には最近までこのブログの存在を教えていなかった。邪悪な心に驚くといけないから。そんなわけですけど、これからもどうぞよろしくお願いします。

阿修羅ガール (新潮文庫)

阿修羅ガール (新潮文庫)

おもしろかった。卒論が30分の1書けたことに気をよくして、全部読み切っちゃった。ふつう印刷物って「?」のあとには一字空白が入る、とよく知らないけど思っていたのだが、舞城さんのは「?」のあとすぐ字がくるようだ。

ああここ?え?保健室?何で保健室?私怪我してないよ、と思って私は私の膝に付いた血を思い出す。

てなかんじ。でもなんか法則があるんだろうか。「?」のあと空白がくるセンテンスもみっけたから。擬音語と擬態語のたぐいが異様で、まあ

キュリキキキギャギャッ、ドーン!ってまた事故ってるし!

とか。きっと物語がそこにあって筆が追う、追う、追う、って感じで書いてるんだろーなー。
「自分なんて存在しなくったって楽しめるじゃん!」っていうパワーある諦めが最後に。「自分」については多分よほど素直で疑い知らずじゃないかぎりは「自分とか、ないよね」というとこに行き着くはずだけど、最近は「自分らしさ」みたいなことがほんとうに存在すると思われているふしも否めないので、こういうの読むとほっとする。私も「もしかしたら誰かの脳内にいるのかも」「神様がリモコンもってうちらの哀しみとか怒りとか全部コントロールしちゃってうちらは気づかずにおいおい泣いたりしているのかも」などと定期的に妄想するけど、まあ妄想だってわかってるし、それとは関係ない現実的な些末なタスクがけっこうあるし、っていうのが私の現実なのだけど、そういう意味ではアイコと重なる部分もあったが、アイコは力業でハッピーエンドに持って行ったので、舞城さんの他の作品もこんなかんじの力業多幸感を押し出しているのか気になる。