月曜日(クリスマス気分を高めてみる)

友人の勤めてる会社の社内報をもらったのだが、社員の卒論テーマを聞くコーナーがある。卒論は、触れて欲しくない過去になるほど、個人的重要性は高いんだけど、あくまでまったく個人的な問題にとどまるものだ。「卒論書くの嫌だ」という共感は多くの人と共有できるものの、テーマは実に多岐にわたるし、実際自分の卒論のことしか頭にない。っていうか、特に卒論執筆時、他人の卒論については心底どうでもいい。お互い卒業できるといいねと控えめに祈るばかりである。
こういうごく個人的な話題を、改めて読むと、しかし、逆説的にか、かなり面白い。「へえ〜そんなことに・・興味、あるんだ?!」っていう感じ。聞かなければ知り得ない一面を見たような。まあその社内報に載ってる人たちを知らないわけだけど、その人をより知りたくなるくらい魅力的な記事である。
だから人の卒論って、個人的には興味津々だったりするんだけど、上記したように無事に卒業したあとでも心の傷になるくらいの破壊力を卒論は持っているので、むやみに人に聞き出せるしろものではない。いや、大人として、聞き出すべきではないだろう。たとえ卒業から20年はたち、アカデミックな世界からとうに足を洗っていても、いや元々アカデミックなど関係なく大学にいた人に対してさえも、聞いちゃいけない。タブー。聞きたい。今まで聞いた中では題目「愛はどこにあるか」に最も心がざわついた*1。思い出すたびに恥ずかしい。
初めて会った異性などに、卒論テーマを聞いてみるのも、相手を知る手だてになるかもしれない。仮にその人が大学を卒業してから10年、20年たっていようと、21、22、23歳周辺でどのような思考回路をしていたかを知ることは、その人間の大まかな文脈をつかむヒントになるだろう。同じ文脈を自分が持ちうるか、その可能性をはかることができると思う。*2うぶな感性と知性が必死で長い時間をかけて綯い合わせる卒業論文。ていうかほとんど時間が足りずに勢いで書いてしまう卒業論文。何を書いているのが自分でもよくわからないけどとにかくススメな卒業論文。頼むからそんなことで人物評価はしないでくれと頼みたい卒業論文

卒論ヤレーっ。

ちょっと疑問なのだが、はてなおとなりページでときどき類似度0%なのに表示されてる場合があるんだけど、あれはなんで? 0%ならおとなりでもなんでもないってことで。

*1:無論、「で、愛はどこにあったのか」という問いを差し挟むことも控えなければならないだろう。

*2:たとえば、サリンジャーを卒論に選んでいる人がいたら、「青春スーツ装着中?」って思う。ちなみにこれを聞く恥ずかしさっていうのは、大学時代に全国自転車旅行をしてしまった過去を持つ男性の話を聞く恥ずかしさに似ている。特に後者の場合、「ピュア、なのかな…」と安易に予想されるため、きっと大人の階段を上り終えて子供だったことがなかったかなって思われるほど「大人」になっても(具体的には30歳あたりか)なお、どこか素直さを保ったままであろう。って、知る由もないけど。