火曜日(またよしながふみ考)

天ないのマキ先生よりも年上になったと気づいた日。

夜8時と0時に分けて風呂に入った。追い炊きできないので、二回目は少しぬるかったが、そのぶん長くつかることができた。まるで女性らしいようで恐縮なのだが、湯船には、オフロートという泡で花をつくるムースを使って、泡花を浮かべている。あー、早い時間の入浴って、なんでこんなに幸福なのか。
お風呂のなかでよしながさんのことをまた考えていた。よしながさんおすすめのベーグルを今日も食べたからではない。私はある種の言説を聞くと、息苦しくなり、もうそれ以上読み進めたり聞き続けたりできなかったりする。色んな作品について、何度も不快感を表しているので気づく人もいるかと思うが、自分を正しい側に置き(それは「感性の正しさ」を意味することもある)、何者かを告発するという態度に、非常に弱い。ああ、もうダメって感じ。ダメっていうのは、勿論私にとってダメってことで。
だから新聞なども読み進められないし、テレビも無理、本も雑誌もけっこう無理。(かの)柴田氏に言わせれば「不幸なのは自分のせいだ式の強者の個人主義」っていうのが強まっているってことなんだけど、それはほんとにそう。がんばらないお前が悪い、みたいな。それは確かに正論だろう、でも、あまりに正論が強くなってきている。正論って、相手に逃げ道をなくさせる。正しいからって言い負かしていいのかって気がする。
なにか理不尽なことをされたと思ったとき、「それって理不尽じゃないか」と言うとする。その告発は、正論の一種である。だって正しいんだもの。「おかしいんじゃないか」「不条理じゃないか」「甘えているんじゃないか」「わかってないんじゃないか」そういったもろもろの正しい告発。わたし自身が、ちゃんと人生を歩めていなくて、色んな人に甘えているから、そういう自分を肯定したいんだろう、なんていう指摘もありうると思う(っていうかこれを読んでくれてる人でそういうこと言う人はいないけど)。でもそういうのだって正論だ。だってそう言われたら逃げられなくなるもん、どこにも。
とにかく、よしなが作品には、「理不尽で当たり前、だって人間だもん」っていうのがあると思う。あのフラワーオブライフでも、いろんな登場人物が出てくるけど、そりゃあもういろんな理不尽があって。主人公の父親は、多分心配と溺愛のあまり病気の後遺症のことをつい息子の友だちやその父の前で言ってしまう(別に言わなくても交友関係は築けているのに)、主人公の姉は明るい引きこもりだが弟が姉を邪険に扱うと突如本気でキレたりするし(普段は気のいい明るい人なのに)、真島は恋せずに常に萌えに持って行くし、まあ、そんなふうなのだ。そういうのって、歪みを持っている…なんて暗く表現されかねない特徴なのかもしれないけど、よしなが作品では見事に、そんなねじれ、おかしなところ、が受け容れられているのだ。そういうこともあるんだって!って。愛すべき娘たちでも、母が娘に八つ当たりをするが、親だって八つ当たりするわよ人間だもの、的なことを言っていた。
なんか、やっぱよしながさんすごいなって思う。10歳も年が離れていないのに、…かっこよすぎ。かっこいい女性って、たいてい男の扱いになれてるとか、「女性らしい」でも「言いたいことは言うの」みたいな、「セックスって素晴らしいこと。」みたいな、そもそも抑圧された性だからこそ解放されてみました、的な女性がその役割を担うことが多かったと思うけど、もーそんなのどうでもよくって、もうよしながさんでしょう!って感じである。


まあ、私は、とりあえず短く文を書く練習をすべきな気がするわ。深夜に、日付が更新されたばかりのブログを更新する・・・God bless meと祈りたい。