と学んだ。

今日は、ひさびさに、人が集まる場所に行き、共にやったことについての意義などを語り合ったのだが、意味を聞けば聞くほど、眠くて、つらかった。意義を語り合うより、いっそ皆で眠ってしまった方が有意義だ。と誰もが思うと信じたいのだが、どうして誰かが話し続けるのだろう。大学生などをしていると、驚愕の長時間プレゼンターに出会うことがある。多くとも一人20分までの発表時間で50分は話し続ける人もいる。むろん大学生は暇だ。のちに語り直す学生生活の意義がなんであろうと、時間に余裕がある。一定の授業時間は部屋にいなければならないーーいざとなれば途中退室も辞さないが。しかし、私は、できれば、100分の授業であるなら、100分弱での完結(別に完全なる結末でなくてもいい。「今日はここまで」という慈愛の言葉だけでいい。)を目指して欲しいし、20分のプレゼンでは15分での完結を、目指すべきだ。若いといえども一寸先は闇。いや、一寸先が闇でないからといって、意義などを語り合って共有しなければならないなんて、酷いじゃないか。