あの声。

異性の魅力として、「はじめにどこを見ますか」という設問がたまにあるけれども、見切れない魅力もあると思う。ひとめぼれならともかく、見て、一気に「☆!##lo★!!!」みたいな興奮状態になることはめったにないし、視覚的情報によってもたらされるものは、比較的「あ、背が高い。並んだときのバランスいいな」とか「ひげ濃くてちょっとなあ」とか、「ふーん、いいもの着てるね。お坊ちゃんかな?」とか、「鼻毛切ることくらいはマナーだよ」とか、わりあい理性的な判断ではないかと思う。
「声」は、なんだか、もうちょっと本能的なところでジーンとさせると思う。リズム。声質。くせ。軽口をたたいても、その人の静かな力が、声にはあるような気がする。外見が、つねに客体(=見られるもの)としての性格を持つのにたいして、声は、主体や客体といった関係性から、自由、少なくとも、自由なほうではないかと、思える。「はじめにどこを聞きますか」なんていう、聞く側の判断や好みが反映されないし、いや聞く側なんて今言ったけど、聞く側はすなわち、声を届けられる側かもしれない。ってか、主体とか客体とかいう、気持ち近代的な議論とは無関係だろう、多分だけど。
むろん大人になるにしたがって「いやそうな返事」とか「うれしそうな返事」「頭わるそうな返事」などはお手の物になるけれど、それは声と言葉の両方に依存する形だしーー。声自体はもう少しプリミティブだと思うんだよね。


ええこえ。ええこええ。この声。その声。あの声。どの声。こそあどの声。しかし、「すみません、声がすごくいいので、もっと、話して、ください」とは、今度男の子にでも聞いとくけど、言わない方がいいと思う。