IT HURTS。REALLY。

腰が痛い痛いよ〜んな朝、ニュースで子供たちが染め物をしていて、キャスターの人が「いい思い出になりますよねえ」と言っていた。(別に子供達は「いい思い出をつくるために」染め物をしているわけではなく、まあ大人の企画にのりつつも、楽しんだりなどしているんだろうなあと思われるが。)これはキャスターがつけた解説だとしても、「思い出にする」ために努力することってけっこうある。
私も「ああこのときのことを、あとからきっと思い出すだろうな」って思うことはあって。でもそれは「思い出にしたい」という欲望とはちょっと違って、そのとき、その場所、にちゃんとはなじめていないということなんだけども、「思い出にしたい」という欲望のほうは、そのとき、その場所にがっちりと自分をはめていくというプロセスが必要になる。予定調和の物語のなかで、驚いたふりをすることなど。
ただ、どのような形であれ、記憶しておくことは、わりあい苦しみだと思う。私は「いい思い出にするために」なにかをすることはほとんどなく、「無駄に終わればいい」と思っているふしすらあって(となるとそれはそれで、「徒労」「無駄」という物語をあらかじめ描いていることになるのだけど。)、まあ、結果的に思い出になってしまったものがどんな思い出であれ、時を経るとともに、徐々に、けして心地よくない重みを持ち始める。幸福な記憶であれ、何度も反芻しているうちに、苦しみに変わっていく気がする。なんとなくだけどね。いやでも、幸せなのかも知れないけど。でもわかんないな。
話のまとまりがないのは腰痛のせいだということにして、今日は読書するっ!あと、けして痛いことを自慢してるわけじゃないんだけど、腰が重いのー痛いのーやなのー