?【ブログで思いのままに情報発信】?

gooブログサーチのサブタイトルはこれ。
新聞社の説明会などに行ったときに、「普通の人がブログなどで情報発信していますが、新聞の人間としてどう思いますか」というような質問があって、「一番の違いは、お金をもらってるかもらってないか。我々はお金を貰って情報発信している。ふたつのメディアが闘うことはないと思う」という答があった。どこの新聞社だったか忘れたけど、多分朝日か日経。で、ここでも、疑われていないのは「ブログで(普通の人は)情報発信をしている。あるいは、したい。」という見方だ。これはちょっと違うように思う。
自分自身、毎日たくさんの記事を書いているけれど、情報を発信しようと思ったことは全然ない。それは「人の役に立つもの」を提示しようという意識がないからだと思うけど、なくてもかまわないと思ってる。私が毎日のぞくブログも、全然情報なんてない。先方にもそういう意識はないと思う。もし情報が提示されるブログだったら、多分読んだりしない。「情報を発信したい」という意識は全然ないし、情報の発信なんてマスメディアがやればいいことだと思う。情報過多だなんて言われるけど、情報は別にそんなに価値があるものではない。さすがにスペインのテロを知らなかったときは世界全体から取り残されたような気にもなったが、友だちと集まったときに杉田かおるの離婚劇に一番詳しかったのが自分だったときは非常に恥ずかしかった。*1
そして、もしかするとそういう人もいるのかもしれないけど、ブログは自己表現ともまた違う。「私という人はこういう人です。なにかをつくりたいんです。」という気持ちはからっきしない。逆説的かもしれないが、自分を、自分から遠ざける試み・・とも言えるかも。いや、よくわかんない。
でもブログを読むと、人となりまでは見えないけど、雰囲気は伝わってくる。肩書きの見える人も見えない人もいるけれど、そういうわかりやすい外面とはまた別のとこで、人が掘り下げたものを読むのはけっこー楽しい。「なぜ雑誌があるのか」「なぜ新聞があるのか」などと今ではもう問われないことなのに、ブログだとたまにこうしてうっかり考えてしまうところが、ブログがまだよくわからないものだってことなんだろう。ああ、今日こそネタがないかと思ったのにうっかり書き連ねてしまった。暇は罪である。

*1:ちなみに村上春樹さんは雑誌とか新聞とか、とにかくいわゆる情報を全然取得しないらしい。電車の吊革広告でさりげなく世の中で何が起こっているのかを見ることはあるらしいけど。