茶道やってきたー。

今日は貴人だての、お供付バージョン。頭が悪いので、よく手順を忘れるけど、先生とたのしくお話した。この前のお茶会のことなど話す。着物が着れるようになりたいなあ。胸のとこからふくさを出してみたい。(いつもジーンズにひっかけてる。)貴人だてのお茶碗はややお茶がたちにくい。
帰りに、できないことが増えてきた(あるいは「やればできる」を深く諦めた)ことをしみじみ感じる。*1でもできないことが増えるたびに、ああ、ほっとした。と思う。刺激的であろうと少しでも気を張っていると多くのことがずれていくけど、退屈だと、穏やかさを維持できる。好奇心がわかなくても、何も言えなくても、知識がなくても。
自分が卒論に選んだ作家について、なんでかれで書こうと思ったんだろうと考えると、かれの作品が退屈だったからかもしれない、と思った。いや、好きなんだけど、その好きさが、かれの諦めとか退屈とか失望とか、まあささやかな祈りとか、にある気がする。動き回っているのになにも動いていないような、語り手でありながら語りを諦めているような、そんなかんじ。まあ、でも、「不運な女」に関しては、これを分かりすぎると自殺してしまいそうな危うさを感じる。でもアメ鱒より好きかも知れないなー。

*1:ナイーブな発言だけど、「やればできる」よりは「できないってことでOK」のほうが心強い。子供なんて産まなくていいよ、とかさ。