ライスカレーとカレーライスの違いでしかない」。政府・与党内で続く消費税率の引き上げをめぐる論争について、与謝野経済財政担当相は17日、ニッポン放送のラジオ番組でこう述べ、大きな対立点はないと強調した

まあどうでもいいのだが、消費税についてのニュースで気になった。言語の問題として、ライスカレーとカレーライスは違うはずだ。
日本語では、名詞+名詞の組み合わせの場合、後に来る名詞のほうが主体になる。他の言語では知らん。多分ライスカレーはカレー主体だけどカレーライスはあくまでもライスだ。なんだか納得いかないが。鬼嫁はあくまで嫁だが嫁鬼は鬼である。(いや、鬼嫁は鬼のような気もするな・・)鳩胸は胸だけど胸鳩だったら、鳩なんだろうなーって予想できるし、あ!管理・人だと人だけど、人・管理だったら管理だ。あーでもこの管理って動詞的役割なのかな?
こんなくだらないニュースに突っ込んであげる私が邪悪なはずないわね。ふふ。
#あっ、昔はライスカレーとカレーライスという呼び方があったんですね。google検索したら出てきた。へー。そんな時代あったんだー。やっぱカレーライスの方が「っぽく」ない?みたいな感じになったんだろうか。


堀江さんの熊の敷石の文庫に入っている『砂売りが通る』もまた、なぜだかエロかったです。私が勝手に萌えてる可能性も否定できませんが。語り手が

自分がしてもらいたいことを他人にしてあげるという理屈は、考えようによっては謙虚で、奥ゆかしくて、好意を感じさせるものだが、それは半ば自慰的な行いでもあるのだ。自分にしてほしくないことを他人にしないというのも一種のエゴイスムなのだから。

というシーンがあるのですが、前々から「自分がしてもらいたことを他人にしてあげる」「自分がしてほしくないことは他人にもしない」「これが人間関係の基本」とぬけぬけと語る人たちについて、えっマジ?と思っていたけど、一方で「まあ私が邪悪だからかな…」と思っていたので、ちょっとほっ。
英語で、何かをしてもらったときに、I hope I can do the same for you(あなたにも同じことをしたい)というのがあるけど、これは好き。
堀江さんが訳した小説をいま読んでいますが、堀江さんが訳したと思わなければつまらなすぎて読み通せない代物だ。


今日も茶道。家具屋のじーさんのこととか話して盛り上がる。若いうちになんでもやっといたほうがいいのよ、とのお言葉。そうね。そうかもしれない。