塵っぽいのは私なのだ。

コンプレックスなんて、それを糧にして上に行けばいいとか、そもそも感じる必要がないとか、ありのままの君でいいんだとか、嫌ならそれを変えればいいとか、そういう言い分はもっともだと思うけれど、感じてしまうものは仕方ない。
定期的に私をさいなむコンプレックスは、いろいろあるけれど、その一つは、付箋紙をうまく使えないことだ。
だいたい付箋紙というものは、5束くらいがビニル袋に入れられるなどして売られていて、たいてい200円台である。紙にペタンとしるしをつけるため、という性質上、付箋紙はその体の一部がのり付けされている。そしてそののり付けされているものは、一枚では表裏のどちらか一方にのりを感じる程度ですむのだが、これが一束となって重なったとき、束の側面まで「のり」を帯びてくるのが普通である。いや、触ってもさして「のり」は感じない。が、ほこりっぽい場所などに置いておくと、その側面に、小さなほこりが付着し始めるので、そこが「のり」を帯びていることが分かるのである。
私のコンプレックスは、付箋紙の束の側面が、必ず、かなり早い段階に、塵の様相を呈してくることだ。少しなら構わない。しかし、それが塵度を増したとき、「確かにこれまで通りしるしとして使えばいいし貼るのは一枚ずつなんだから一枚の付箋紙に付着している塵ほこりなどたいしたことはないんだから気にせず貼ればいい」という気持ちになれなくなる。だって塵っぽくて。
そんなわけで、志半ばにして買い換えることになる。よく買うのは無印良品の付箋紙だ。色が抑えてあってきれいだから。でもどうせいつも使いきれない。無印の付箋紙は安価だけれど、「買い換えればいい」というものでもないのだ。買い換えることが、また心に塵を落とす。


付箋紙のほこりは、自分の人生に、少しずつ、散りつもった塵芥だ。私の塵。

[補足(目を凝らしてみてください)]

Well. Just in case you have never ever seen that dusty kind of post-it!