金曜日(表参道でおいしい白菜豚麺を食べる)

友人の旅の話を聞いて昼頃爆笑、それ以来どうも笑いのねじがゆるみ、電車で笑いを抑えるのに必死で、茶道でも笑いが止まらなかった。笑いが、どうしても止まらない。統制を外せば、たちまち思い出し爆笑しそう。家ならそれもありうる。引きこもって、暗い文学ばかり読み、Friendsか姉との弟ネタで笑うのみで、確実に笑い不足の生活のせいだと思う。笑い飛ばすことがない。で、笑いの暗い根っこみたいのがたまる。やがてやなかんじで溢れ出す。
(続く 風呂に入る)
(やっぱ後で入ることにする)
ウィット的な「気が利いてるね」みたいなジョークは「「気が利いてるね」を察知できますよ」的、社交的知性的笑いで回収できて、そういうのはソッコー笑い終えられる。東京の人が時々「げらげら笑った」みたいなことをよく言うけど、「げらげら」って。いや、マジで、「げらげら」って。


というわけで、ケンコバ*1のブログをアンテナ登録。


今朝「好きすぎて 距離」で検索してこられた人がいるのですが、答は見つからなかっただろうなあ・・なんか、ロマンチックの予感。


今日は柴田元幸×古川日出男トークショー@ABC!帰宅後感想書きます。
#行ってきました。古川さん、けっこう早口で、聞いててトリップ状態になった。書くときは自分を消す、ということだけど、個性的なしゃべり方をする方なので、個を消し去るとどんな感じになるのかなあ。と思った。朗読かっこよかった。小説はgiftしか読んでないので読まなくちゃ。しゃべり方とか、特定の単語(ださい!とか遺伝子操作*2、とか、Z'とか)やフレーズ「ロックの向上心が…」とかが心に残り、文脈があんまり残ってない、なにがださかったんだっけ。…リアリティについての話もあったね。
柴田さんの世代論で、80年代、90年代がもう若者としてごっちゃになるということだったけど、今40代のひとと30代がごっちゃになってるってこと? 私は00年代なのかな。作者は神じゃない。ということだった。その作品だけを見るという態度が正しいとすると(私もそれがいいと思うけど)、批評とか論文とかで、ある作者のいろんな作品を並列に並べて論じるっていう態度はどうなんだろう。比較とかよくあるけど。もしかすると過去の作品を読み直すという態度すら実は必要ないのかな。ところで柴田さんがかけた音楽は、誰もが知ってる曲なのか。周りの人は知ってる風だったけど…ロックとか全然知らないからわかんない。もちろん古川さんがかけたのも知らないけど(くるりはさすがに知っていた)。
どうでもいい指摘で恐縮だが、柴田さんは会場全体にアイコンタクトを投げかける朗読で、古川さんはテクストのみと向き合っての朗読だった。
あと藤本和子以降「あがめる」タイプの翻訳が薄れたということだったけど、私はむしろブローティガンの作風として「あがめ」ない、ということを捉えていた。文庫版「アメリカの鱒釣り」の後書きで柴田さんが同じようなことを書いていたような気がするのだが、いまアメ鱒が失踪中なので確認できない。なんか、「意味とかなくていいんだ教えがなくていいんだ」的なことを書いてらしたような気がするが…、ブローティガンの文学自体に、「教えない」(=あがめられない)という姿勢があるというよりは、翻訳の問題なのか?


あの会場、全員はいっても15万くらいだと思うんだけど、あの横で売ってる本で利益をあげてるんだろうか。

*1:彼が村越さんという男とモストデンジャラスコンビを組んでいたとき、小林さんは千原浩史さん、サバンナの高橋さん、陣内智則さんと、「光速脳天ベタキング」のDチームメンバーであった。そのメンバーは伝説の番組「千千原原」にも出ていた。で、「千千原原」で、病気が癒えてアルコールの摂取がOKになったJrさんを、酔わせてお願い事を聞いて貰おうという企画があったとき、陣内さんや高橋さんは「コンタクトレンズ買ってください」とか「ポルシェください」とかお願いしていたのだが、ケンコバは「「千原浩史」の名前をこの番組の間だけでも「チンコ原立て史」に変えて下さい!」とお願いしていて、そのときから私はケンコバには頭が上がらないのである。っていうか、会ったこととかないけど。侠気の男、ケンコバである。ちなみにJrさんとケンコバが大阪にいた頃、道で喧嘩してる男どもの方に行き、Jrさんに「止めなあかんでしょ!」と言い放ったと言う。侠気。ちなみにモストデンジャラスコンビは真に避難勧告並に危険なコンビであった・・・もう覚えている人もあまりいないかもしれないけど、村越さんのギャグ「遺伝子操作♪」が忘れられない。

*2:村越さんのギャグ「遺伝子操作♪」を思い出した日にまたこの言葉を聞くとは思わなかった。