木曜日(レポを出しに行く予定だ。)

[あたし。]
私は口語では自分のことをたいていどんな時も「あたし」と呼ぶのだが、文章でそれをやるのは本当に恥ずかしい。はすっぱでおしゃまな女の子になりたい意図を、勝手に読み込まれることを危惧している。しかし今日はその危険をあえて冒してみたいと思う。
先ほど24時間開いているスーパーにみりんを買いに行った。予算の関係で実際に購入したものはみりんではなくみりんらしきもの。しかし深夜0時台にスーパーに歩いて行ったと母に知られたら、殴打ものだろうと思う。*1しかし鶏肉の煮物をどうしても作りたくなったのだから仕方あるまい。
#「あたし」は註に使ったのみだ。


[久々にハイテンションだ。]
面白いブログを見つけた。この感動は、初めてブローティガンを読んだとき*2、あるいは初めてフィッシュマンズの「声」が聞こえてきたとき、あるいは千原Jrを知ったとき、あるいは異様においしいウニを食べたとき*3、あるいは猫が肉球を押しつけてくれたとき、全国模試で1歳下の超天才になぜか総合順位が勝っていたとき*4、あるいはスキーではじめて(普通の人にとっては相当へぼいコースではあれ)初級者的コースをこけずに滑り終えたとき・・・とにかく。それらの感動を思い起こさせるほど面白かった。言い過ぎたけど。
#やっぱ「あたし」はあかんね。と思いました。↓註がすごく長くなりましたが読む価値はありません。


[学校。]
久々に学校に行くと、昨日ランディさんの講演があったようだ。とき既に遅し。大学の博物館にちらっと行ったが、すごく面白い展示をしていた。たくさんの骨が見れた。人骨、嫌いじゃない。あ、でも、お葬式のあと、知ってる人の骨を拾うことを、二度したが、苦手だ。また「焼く」のは怖い。もしも死んではいるものの完全に死んでおらず棺桶の中で生き返ったらどうしてくれよう。死ぬのはいいが熱いのはごめんだ。ところで日本全国で雪が降っているようだが、東京で降っていない。「それ」は本当に起こっているのか、と疑心暗鬼である。

*1:母親というものは、少しばかり遅い時間に少しばかり暗い道を通っただけで、凄い剣幕になる。多分上京してなければ、未だに門限9時等であったはずだ。一度一人旅で「毎日メールする」としてもいない約束を母親の脳内でさせられていて、サンフランシスコではたまたまユースホステルにいて暇だったので毎日メールしたもののバンクーバーに移ったとたんわざわざネットをしにどこかに行くのも面倒で、メールしなかったら、あたしは「行方不明」として、外務省に安否を尋ねられていた。帰ってみると母から50通はゆうにある、「sinpaisiteimasu」等の非常に読みづらいローマ字メールが届いていた。さらには英語の喋れる、弟の彼女のお姉さんにまで協力して貰って、前のホストファミリーに電話されていて、更に滞在先を調べるために私の東京の一人暮らしの部屋まで行ってパソコンの履歴を調べる寸前までいっていた。たまたま母がつてを頼って私の生存情報を得たから止まった。本当によかった。その旅行で、もろタイプの男(初恋の彼に似ていた。)に声をかけられ車に乗るという母的には卒倒ものの事件が起きていたが、普通に現地を案内されただけでなんのやましい、もといやらしいこともなかった。しかしそれ以外はまったく清潔な旅行で、むろん危ない場所にも行かなかった。くだんの行方不明騒ぎ(当人は関知せず)によって帰国後「皆に迷惑をかけたことを謝れ」と迫られることとなったことを付け加えておかねばなるまい。

*2:アメリカの鱒釣り』が初体験だった。

*3:地元で。

*4:中学時代のことだ。あたしが全国7位で、彼が9位くらいだったものと記憶している。あたしは成績に異様なムラがある子供で、偏差値50弱から75くらいまでをきわめて自由に旅していた。どうでもいいが、天才の方の彼はあたしと同じ年に(註:彼は現役)同じ大学に進んだが、あたしのように謙遜でなく不出来な者がいる一方でこんな天才も入学したのだから、そう思うとなんだか底知れない気もする。