水曜日(学芸員のレポート書けたあ!)

[雑誌と連続性と派生]
Newyorkerの定期購読をどうするかで、値段がネックになってまだ悩んでいる。雑誌の定期購読って、すごく「実際的」なことをしている気分になれそうで、なんだか憧れる。まあ、すぐに出来るやん、ということなんだけど。中高の頃は今はなきMc Sisterを購読していた。楽しかったなあ。
なんか、実際的な、連続性を持つことで、日々がなんとか続いていくという気がするんだけど、その連続性の例を日常から挙げてみると、「ご飯作る」とか。「買い物」とか。いや「買い物なんて嫌い。一つのモノをずっと大事に使う」系の人なら、なんかその机なりなんなりを定期的に磨くとか。そういう連続性が、なんかけっこうイイんじゃないかなあ。と思う。

昨日買った雑誌に、若ママ&若パパ&小さな子供、っていう写真がたくさん載っていて、すごくかわいかった。中には、きっとヤンキーか族かでうっかり子供ができちゃったんだろうな…と思う人もいた(子供の名前から推察)が、その子もなんか、おきゃんなママ!って感じで。インタビューでは結婚しても子供が出来ても「女」でいたい、っていう人もいたけど、ってかそれはけっこう主流? でも私的にはよくわからないーーというか、自分が「女」として不出来だからかもしれないけど。まあ親に対して、母親は女であるよりも母親であってほしい、みたいなのが潜在的にあるからかな。Kissにときどき現れる「君は僕のヒーローさ」で、子持ち・旦那と死別の主人公が、女としてじゃなくて母親として上出来だなって言われてすごい喜ぶシーンがあって、

普通母親だってそのまえにひとりの女ですって言うんじゃないの世間じゃ?
どーかなーでもわたしは女のまえに母親がいいですもん だからそれ最上級の褒め言葉です

と言うんだけど、なんかいいなと思った。母親には子供のための母親でいてくれーみたいなのがあって。だから女の人で色んな人と遊んでる人見るとまだ結婚前だとしても、本当に失礼なんだけど「こんな人がお母さんだったらやだな」と思ってしまう。父親は外で何しようが金さえ入れてくれればいい的なところがあるけどーーってもちろん家族と仲いいのが一番だとは思うし遊び回ってる人も生理的に怖いんだけどーー、母親ほどは気にならないというか。

つーわけです。レポート書かなくっちゃ。
#書けた!はー。肩の荷がおりたぜ。明日出しに行く。クフフ・・・それにしても、うちのプリンタは、ななめに印刷されることが多くて、5枚中1、2枚は少しずれるという高頻度だ。

[人前離婚式など]
最近すごく離婚という話を耳にするような・・「離婚式」とかがあれば楽しいのに。昔千原のネタで「離婚式」ってあったなあ。「きもっ」とか言ったりするコント。つか、なんか一度「一緒になります」と宣言したのに別れるのって少し恥ずかしいような気がする。ずっと好きなままでいられたらいいのに。