土曜日(イブに幸あれ!)

[曽我部さんと、性差をめぐる考察]
曽我部さんの事務所のクリスマス・メールに

キッチンに腰掛けて、よしもとばななさんの新しい小説を読みながら。

って書いてあった。曽我部さんはばななさん好きなのかなあ。曽我部さんの感想如何によっては『みずうみ』を立ち読みすることもありうる。また、12月20日の日記で曽我部さんは、彼の娘さんのおならはよく聞くのに、女性のおならを聞いたことがないということをあげ、

女性は意識的におならを我慢しているのではないか、という仮説が浮上してくるが、女性にそのことを訊ねてもいまいち歯切れの悪い答えばかり。

と書いているが、そりゃあそうだろう。だって女性はおならをしないもの。しかし、私にも異性について謎だなと思っていることはけっこうある。私は温泉などに行くとタオルを絶対に巻きたい方だ。でもあまりに巻くと、「大人になりきれていない人」のようでそれも恥ずかしいので、巻いたり巻かなかったり、その中間を取ってみたりだ。普通のタオルをつかうか、バスタオルを使うかという問題もある。胸隠して尻隠さずもいやなので、バスタオルが、「隠す」ためにはいい。しかしバスタオル付で湯船に入るのは考え物である。ものすごく水分を含むことになるし、何より湯界で少数派になってしまう。羞恥心よりもマイノリティに属すことを怖れなくてはならない。だから、不足感はあるけれども、後ろを隠すことを諦めて、タオルで隠すのが、まあ一番スマートであろう。*1その点、男などはタオル一枚で全てが隠れて便利である。しかし、男友達に聞くと、「俺は巻かなくても平気だよ」と言うのだ。え? 巻かなくても平気? あまりのことにそれ以上の詮索を断念したが、なぜ隠そうと思えば簡単に隠せるのに隠さないのか。そういえば女湯が男湯を見下ろす形の温泉に行ったとき(無論屋根はついている)、男性が一人男湯の建物から裸で出てきて、タオルを自分の体の前面にぱーん!ぱーん!とたたきつけているのを見たこともある。(たくましい体だった。)あと、なんで男はあんなに公共性のある便器で用を足して平気でいられるのだろう。前にベトナムで女性のトイレにも個室以外の選択肢があることを知ったが、目の前で用を足している人を見たときは本当に驚いた。でも考えてみれば、男がやっていることはそういうことなのだ。それが恥ずかしいことだという意識はないようだ。大学生をしていると、集団強姦の事件を、身近ではないけれど知り合いの知り合いの知り合い、くらいの遠さで耳にすることがあるが、なぜ自分がセックスしているところを見られても平気なのか。レイプに関してはその攻撃性、身勝手性が非難されることが多く、その問題もさることながら、なぜ無防備に性的衝動にまかせる自分を見られてもいいのだろう。「自分を突き放して見る」視点が決定的に欠けているように思う。「まなざし」は男のものだということに安住して、みずからも「まなざし」の向けられる対象であることに無自覚である。*2私なんてこのエントリを書いているあいだじゅう、こんな疑問を提示することこそ羞恥心を欠いているのではないかと不断に心配しているのに。


[英語の不出来という悩み]
自分の書いた英語を読み返しているがアホすぎ。なぜこんなに酷いものを教師に見せたのか。理解に苦しむ。一年以上前の成績だが、私はTOEICの点数、けっこう高い。一度しか受けてないのでまぐれという可能性もある。というか私程度の成績で「まぐれ」がどうこう言い出すこと自体、レベルの低さを露呈している。(「まぐれ合格です。」とか言う奴はきらいだ。)しかし冷静に、点数だけから見ると海外出張ものである。いや駐在ものかもしれない。(両者の間にどんな有意な差があるのかは知らない。)それだけではない。フレンズを見てもSex and the cityを見ても、わりあい理解できる。訳を見ずとも、レイチェルやキャリーがいわんとしていることがわかる。モニカならもっとわかりやすい。(フレンズを参照されたし。)道で外人に話しかけられようと、道案内はお手の物だ。みずからcan I help youと申し出たいほどだ。しかしなお英語は全然わからない。苦しい。
この辛さをそらすために、「夭逝と呼ばれるには何歳までに死ぬ必要があるのか」という難題について考えてみた。というのもつい最近、脚本家の方が47歳で亡くなったが、ほぼ同年齢である46歳で亡くなった杉浦(日向子)さんに比べて、年齢の強調がないように思えたからだ。いや、杉浦さんも特に夭折扱いを受けていなかった。クロベエのときなどは、40歳だったが、年齢の若さが強調されていたように感じる。本田さんは、クロベエより2歳若かったが、これも若扱いだった。44歳で亡くなった私の親戚は、若いとは言われたものの、悲壮感はなかったように思う。50代になると、死に対する驚きはなくなる。40代で逝かなければならないとしたら、早い。まあ、35くらいまでが夭逝だろうか。
80年代生まれの私は、まだ十分に夭逝の資格はある。それは、避けたい。親が悲しむからだ。(とは言っても彼女にはまだあと二人子供がいるので、その点では安心である。)しかし昔から「親は必ず子供より先に死ぬんだから」という理屈で親が理不尽を通すという場面に遭遇することはあったが、それは本当にそうなのだろうか。親子でありうる年齢差というのは、親がヤンキー等でない場合、二十歳に数歳の誤差を見込む程度の年齢差から数えていいと思う。20年しか違わないのに、年上の方が先に逝くとなぜ言えるのか。とか論じようとしてみたが、やっぱそこに有意な差はあるように思えてきた。ただ、親孝行はしておきたいものである。


ブラッド・レンフロ
ブラッドがまた逮捕された。犯罪よりもなによりも、彼の変貌ぶりがやばい。マイフレンドフォーエバーのときはすごくすごくかっこよかった。すごくすごくかっこよかった。憧れの先輩って感じだった。(年下なわけだけど。)今は、23歳で若いのに禿げ気味で、薬もやっているようだ。

*1:だいたい、なぜ同性になら裸あるいはそれに準じた姿を見られてもいいと思ってしまうのか、そのこと自体に異議を申し立てたいくらいである。なぜ同性にならメイクする姿を見られてもいいと思うのかなど、人間への疑問は尽きない。

*2:この論理で、28歳を越えた男性が、まだ少女気分の同世代の女性たちを尻目に、急速に年をとり始めることの説明もできそうである。ゴエさんや曽我部さんは30代だけど本当に素敵だけど。世の中にこんな男性がいるのかと思うだけで安易に前向きになる私である。