今日はとくになにもすることがない・・・っていうか、卒論?
駒場で三浦氏の出るシンポジウムがあるみたいで、行きたかったけど、ぼーっとしてしまっている。ああ。
#↑これ書いた時点で、始まっていた。ふう。またの機会だな。でもおもしろいインタビュー見つけた。
http://media.excite.co.jp/book/special/miura/


前にも触れた『生と自己とスタイルと』を読み返した。作者、頭いい。つーか、こんなふうに「わかっちゃって」たら大変だろうな。多少欺瞞的でも「明るい欺瞞」を体現できてれば楽だと思うし、それこそ結婚式・金婚式・お葬式みたいに滞りなく人生おくれそうな気がする。でもやっぱりダメ・ダメ・ダメ?

・自己反省を僕らに押しつけてくるエラそうな自分こそ、肥満した自分だと悟って頭を丸めるべきなのだ
・(本当の自分を求めてとよく言うけれど)あらかじめ失われている主体性を求めて主体的に行動していると錯覚する自分
・(雑誌やパンフなどからは)欲望せよとの大合唱
・人=モノがよくないと感じられるとしたら、モノ←→コト、モノ←→人間・精神・心という二元論にセンチメンタルな感情を抱いているからで、すべての人がモノになれば、今ほど人が人を支配し虐待することもなくなるんじゃないか

など、やらしいことがいっぱい書いてある。「出会いを求めて!なんて平気で語ったりする」とも書いていたなあ。「出会え」「欲望せよ」っていうのは、けっこう繰り返され染みつかされる考え方かも。モノ(そこには「人」も勿論含まれる)と多く出会えば私の世界が広がる、そんな自分が愛しい。みたいなのはけっこうある気がするなあ。そして他人の欲望に堪えうる、欲望される自分であれ、みたいな。まあ欲望、が否定されねばならない理由もないという気もするけど。一方的に欲望せよと言われている人というのもあんまいないし。持ちつ持たれつか。「欲望しないことが美しい」「貧しさが美」みたいなのもとりあえず突っ込みいれとかなくちゃいけないものだし。ていうか、まあこんなことどうでもいいんだけど。ていうか、こんなこと書いてる間に外にでも出て恋でもしてこいって感じだ。*1


さっきラジオ聴いてたら、13歳でフィッシュマンズスカパラのファンだっていう強者がいた。すげー。13歳なんて、私はジャニーズとか聴いてたかも。思い出せるのは中3でTOKIOのLOVE YOU ONLYがあったことだけ。同年齢の友人たちとふとハモれたりすると、けっこう恥ずかしい。13歳の子は大人になるとどんなの聴くのかな。

*1:思春期にバレンタインに参加したことが一度しかなく、そのことを少なからず悔いているので、多分いまこんなんなことも後に「アホめ」と思うはず。でも青春は終焉しているらしいし、まあいっか。