読漫画【「ジェラールとジャック」と許し、漫画の救い】

ジェラールとジャック 1 (スーパービーボーイコミックス)ジェラールとジャック 2 (スーパービーボーイコミックス)
最後の方で、ジェラールが自分を利用したり辱めたりしてきた人々のことを許そうと言い、「それからそんなお前(彼を裏切った妻ナタリー)を許す事ができなかった俺自身を(許そう)」と言う。そのあたりが、よしながさんのすごさだなあと思う。「自分を裏切った人を許す」ことで救われる、よりも一歩進んだ、「許せなかった自分を許す」という救い。
「許せない」ことはいつでも私たちを、と一般的に言うことはよして、少なくとも私を、苦しめてきた。裏切られたことを、ふいに思い出すことはあるし。また、「許せないと思われている」だろう、ということも、苦しみのもとだ。ああ解放されたいと思うのに取り憑くのが「許せない」感情で。
間違いを許さないという圧力が、社会的制裁として本当に大きい中で、「許す」「許さない」は、多分誰にとっても、、制裁側マジョリティに常に身を置けた(ある意味最も罪のある)人以外には、けっこう重くのしかかるんじゃないかなあ。で、まあ一般論にいっしゅん戻したけど、個人的に「許されたい」と思っているし「許せない」自分を「許したい」と思っているので、「許し」をほとんど遙かなる目で書いたこの漫画は、おおっと思った。

あ、ちなみに末次由紀さんのエデンの花 (7) (講談社コミックスフレンドB (1308巻))でも、主人公を率先していじめた宮田さんがクラスの女子にはぶにされたとき、主人公が「一度の間違いでもうダメなの? そのあといくら反省したってダメなの? 」というシーンがある。また、川口まどかさんの 死と彼女とぼく(1) (講談社漫画文庫)(霊能力のある主人公2人が、成仏できない幽霊を救っていく話。)でも、シリーズを通して流れている心は、「人は救われる。たとえ死んだあとでも。」っていう、力強い救い。まあ、末次さんや川口さんは漫画全体がこういう真面目かつ誠実な感じ。よしながさんは+ユーモア、かなあ。

そういや今日、よしながさんおすすめのベーグル屋さんに行ってきた。これがまた!旨いんですわ。ベーグル二個+サンドイッチを買ったんだけど、明日の朝用に買ったベーグルを二個ともサンドイッチの後食べてしまった。美味しすぎて。なんか、生きてるといいことあるなあって感じだった。